創作において「比喩」は単なる飾りではなく、文章に命を吹き込む重要な表現技法の一つです。わたし自身、初めは「比喩はわかりやすく説明するための手段として、安易に考えていました。しかし、試行錯誤の中で、比喩がもたらす想像力の跳躍や読者の感覚を揺さぶる効果の大きさに気づきました。
実際の創作活動を通じて得た体験と、うまくいかなかった失敗例も含めて、比喩を効果的に自在に使いこなすための秘訣を共有します。これを読めば、比喩の面白さとその応用の幅を広げるヒントになるはずです。
比喩を効果的に使うための8つの「盲点と戦略」
1.比喩は「説明」ではなく「発見」である
私が創作活動を始めた頃、比喩を使う目的は「物事を例えでわかりやすくすること」だと思い込んでいたのは、先に記述したとおりです。ある時、シンプルすぎる比喩がかえって平凡に感じられ、文章に奥行きが出ないことに気づきました。
そこで「比喩は読者に新たな発見をもたらすものがある」という付加価値があると考えを改め、比喩表現を駆使して読者の想像力を刺激できる方向性に挑みました。
例えば、「彼女の声は鈴のように澄んでいた」と平凡に書くのではなく、「彼女の声は凍ったガラスに爪を立てるかのような、危うい透明感をたたえていた」と表現すると、あとで読んだ読者からもより鮮明なイメージが伝わっているという感想をいただきました。比喩は補助線ではなく、感覚の跳躍であることを意識して書くようになりました。
本来、比喩は説明を省くためのものではありませんし、むしろ、読者に小さな驚きや発見を与えるためのものと解釈するべきでしょう。
比喩は「情報を増やす」道具というよりも、「連想を広げる」ためのジャンプ台である。
2.「似ている」より「ずれている」方が面白い
ある時点で、ありきたりな比喩を書く自分に違和感を感じ、思い切って視点をズラしてみる試みを行いました。例えば、「夏のアスファルトがフライパンのように熱い」という比喩は誰もが使いたくなる定番ですが、わたしが用いたのは「夏のアスファルトは閉じたまぶたの裏で燃え尽きる花火のようにジリジリと続く」というように、少しひねりをくわえた表現です。
温度感のみならず、終わりの見えない焦燥感、倦怠感を感じさせることができ、実際に読者には強い印象を残すことができました。比喩はぴったり似せるのではなく、少しだけズラして読者の想像力を刺激することが大切だと今では結論付けています。
他の例を挙げてみましょう。
👉例1:
●単純:「彼の怒りは火山の噴火のようだった」
●ずれた例:「彼の怒りは、机の引き出しの奥で蓋が外れてこぼれ続けるインクのように静かに広がっていた」
ここでは「怒り=爆発」から外れ、むしろ「広がる」「染み込む」性質を強調しています。
「ズレ」があるからこそ、読者の想像力を刺激することができます。
比喩を考えるとき、「重なりあう」より「少しずらす」。
この違和感こそが、フックとなって読者の記憶に残るものになります。
3.感覚を横断させる ― 「共感覚的」比喩
わたしの創作活動における比喩の試みで特に印象的だったのは、視覚だけでなく聴覚や嗅覚、触覚などの複数の感覚を掛け合わせる「共感覚的比喩」を用いた時でした。ある作品で、「彼の沈黙は、凍りついた窓ガラスに貼りついた白霜のように冷たかった」と表現したところ、レヴューで「その冷たさが手に取るようにわかる」という反応をもらったことです。
また、別の場面では、「ピアノの音が、青い柑橘の皮をむいた瞬間の香りのように広がった」と描写したところ、異なる感覚をつなげることで現実以上のリアリティと深みが生まれました。感覚の境界を超える表現は、創作に新しい可能性をもたらすことを実感しました。
色を音で表現したり、匂いを形に置き換えたりする「共感覚的」比喩は一見突飛に見えますが、読者の脳の中で異なる感覚が結びつき、強いイメージを呼び起こすきっかけを作ります。視覚に置き換えた他の例を挙げてみます。
👉例2:
「彼の沈黙は、黒板の端に残る白い粉のようにざらついていた」
異なる感覚をつなぐと、思いがけない表現が生まれることで、意外性が生まれています。さらにいくつか挙げてみましょう。
👉例3:
●聴覚を味覚に変えた例:「その叫び声は、舌に残るレモンの渋みのように苦かった」
●匂いを時間に変えた例:「その部屋の香水は、時計の針を遅らせるように重たく漂っていた」
比喩を考える場合は、目に見えるものだけに頼らず、嗅覚や触覚、味覚まで動員してみる。

比喩は、一瞬「変だ」と思わせますが、読者の脳内で複数の感覚が結びつき、強い残像を残しますので、ぜひあなたの作品にも五感を使った比喩を取り入れてみてください。
4.比喩は「その人物らしさ」を映し出す鏡
創作の過程で気づいたのは、比喩はそのキャラクター自身の内面や性格を映し出す重要な表現だということです。例えば、子どもであれば「月は半分食べかけのクッキーのよう」と単純でまっすぐな比喩を使う一方で、詩人なら「破れた銀紙のような月」、科学者なら「重力に引かれながら静止した古い衛星のような月」と、対象への感じ方や配慮が違います。
わたしも自作の登場人物に合わせ、比喩表現に変えることで、読者にその人物の個性や感情をより伝わりやすくしました。この技法はキャラクターの深みを増すうえで非常に効果的です。
比喩を考えるときは、「誰がその比喩を思いつくのか」を意識する。
比喩は単なる装飾ではなく、キャラクター造形そのものになります。また、人物の性格や背景を反映していても比喩は変わりますので、意識しておきましょう。
👉例4:「雨」を対象とした場合
●ロマンチストの青年 ➡:「雨は、閉じた傘の中で眠る小鳥の羽音のようだった」
●厭世的な老人 ➡ 「雨は、錆びた蛇口から垂れ続ける水のように鬱陶しかった」
●旅行者 ➡ 「雨は、知らない国の言葉が一斉に降りかかるみたいに耳を満たした」
比喩の選択は、語り手の心をそのまま写す「鏡」になります。単なる装飾ではなく、キャラクター造形の手がかりとして使うのが効果的だと思います。
5. 比喩の「間違い」は宝の山
わたしも創作のワークショップで、初めて「おかしい」と言われた比喩に出会いました。当時は戸惑いましたが、「彼の表情は、埃をかぶった冷蔵庫の裏のように重苦しい」という表現に込められた独特のニュアンスがあることに気づき、その後は失敗と思われる比喩も大切に扱うようになりました。
類似例を別の作品に置き換え、「彼の表情は押入れの奥に積もった段ボール箱のような重さ」と調整したら、イメージが伝わりやすくなりました。創作の比喩は「不自然な表現」ほど本質が潜み、オリジナリティを秘めていると感じています。
「完璧な比喩」を目指すより、「どこか変だが気になる比喩」から独自のニュアンスが生まれる。
「おかしな比喩」を即座に捨ててしまうのは惜しいことです。少し考え直してみると、かえって小説の独自性につながるのではないかとわたしは思います。

一度おかしな比喩だと感じたら、より身近な物に例え直すこともしてみてください。
また、「見た目に失敗かも……」という例からも、意外な意味合いが含まれているのを発見することがあります。
👉例5:
●一見失敗:「彼の笑顔は、古い電気ポットの沸騰ランプみたいにぎこちなく点いた」
→ 妙だが、そこには「無理に作った笑顔」「温度の不自然さ」といったニュアンスが潜む。
●一見失敗:「彼女の歩き方は、修理中のエレベーターのようにぎこちなく上下していた」
→ 確かに不思議だが、「不安定」「機械的」「先が見えない」という情報を加えている。
こうした比喩は直さず残しておくと、後で作品にユニークさをもたらす財産になります。
6. 比喩は多用せず、また偏らせずに散らす
かつては比喩を多用してしまい、後になって読者の負担になることがわわかりました。最近は意図的に比喩を散らすようにし、複数の感覚を織り交ぜてリズムや深みを持たせる工夫をしています。
色に関する比喩ばかり続くと単調なので、視覚・聴覚・触覚を織り交ぜて、音楽の和声のように美しく響かせる意識を忘れないようにしています。
例えば、「彼女の髪は光の川、笑顔は光の花、瞳は光の粒」という連続した視覚比喩を、視覚、聴覚、触覚を融合させ「彼女の髪は光の流れ、笑顔は昼下がりの果実の香り、瞳は冷たい鉱石の手触り感を秘めていた」という表現に変えた時、読者の感情的な負担が減り、一層鮮明な印象を受けていただけました。比喩はリズムよく散らし、偏らせないことが肝心だと実感しています。
比喩の効果を出すコツは「偏らず散らす」こと。
比喩はひとつひとつが散っていても、頭のなかでつないでみて全体像が浮かび上がるように配置すると一層効果的です。
7. 比喩は「説明できないもの」にこそ効く
意外に忘れられがちなのは、比喩が真価を発揮するのは「言葉で説明しにくい感覚」を扱う時だとわたしは捉えています。単純な事実を比喩で補強する必要はありません。「速く走った」を「矢のように走った」と書いても、それほど効果はありません。
むしろ、
説明不可能な心の揺らぎに比喩は力を発揮する。
と考えています。
「彼女の不安は、眠りかけたときに耳元でささやかれる自分の名前のようだった」
このような比喩は、彼女本人にとって事情を抱えた直接説明できない感覚を読者に体験させることができます。
比喩は「言葉の限界を突き破るための道具」です。言葉でそのまま表せるものに比喩はむしろ不要で、曖昧で捉えにくい心情に効くとさえているのです。
👉例6:
●「彼は不安だった」 ← 単なる説明
●「彼の不安は、眠りかけた耳に差し込んでくるノイズのように、正体の見えないざわめきだった」 ← 感覚で体験させる
👉例7:
●「彼女は寂しかった」 ← 平板
●「彼女の寂しさは、止まった観覧車のゴンドラにひとり取り残されたようだった」 ← 読者が追体験できる。
比喩は「言えないものを言わせる」魔法の道具になります。
8. 比喩を「作る」のではなく「見つける」
多くの人は「どうすれば比喩を作れるのか」と考えますが、実際は比喩を頭でひねり出すというよりも、日常の中で、ふと見つけたものを採用する感覚を持つほうが大切だと思ってきました。
夏の夜に街灯の下で舞う虫を見ている時、「まるで消えた記憶が戻ろうとしているみたいだ」と感じた瞬間。また、駅のホームのざわめきを聞いて、「大きな体内を流れる血の音のようだ」と思った瞬間など、あるものを見て自分だけの世界を感じることを意識することはありませんか?
比喩は、その人の感覚の「ずれ」や「発見」から生まれます。だからこそ誰にも真似できるものではありません。
小説家に必要なのは、
比喩を考える訓練を重ねるよりも、日常を観察する野心、自分の頭に思い浮かぶ連想を逃さず書き留める習慣を持つこと。
それが、唯一無二の比喩を生む土壌になると意識しています。
👉例8:
●夜のコンビニの照明を見て「眠らない水族館の水槽みたいだ」と感じる。
●冬の洗濯物を取り込んで「氷をまとった亡霊の衣のようだ」と思う。
●バスの発車ベルを聞いて「遠ざかる心臓の鼓動だ」と気づく。

これらは頭で作ろうとしてもなかなか出てくるものではありません。ふとした瞬間の発見は忘れないうちにメモしておく心がけは、味わい深い比喩表現に一役買うことになるでしょう。
著名作家に見る「比喩」の妙技
実際に作家はどのような比喩を用いているのでしょうか。よく知られたものを次に挙げてみましょう。
1. “比喩は「説明」ではなく「発見」である”作品例
夏目漱石の『草枕』には有名な一節があります。
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
これは比喩というよりも直喩・暗喩的な構造で、説明を越えた「発見」として読者に提示されたものです。角が立つ=摩擦が生じる、棹さす=流される、という日常動作を用いたことで、抽象的な概念が鮮やかに立ち上がっているのがわかると思います。
比喩は「分かりやすく補う」ためではなく、「新しい見え方を発見させる」ものとしての機能も有します。漱石はこの方法を徹底して使い、“知性・感情・意思”から難解なテーマを生活の実感に落とし込んでいます。
学べる点:内面を直接説明するのではなく、外部の世界を比喩に用いて心の揺らぎを可視化する。
漱石の比喩は、風景や自然を人間の心情と照応させるところに力があります。例えば「月は冷たい涙を流すように光っている」といった比喩では、自然現象が人間心理の延長として扱われ、読者に「心情を風景に投影して読む」ことを促しています。
2. “「似ている」より「ずれている」方が面白い”作品例
芥川龍之介『羅生門』では、老婆の描写に次のような表現があります。
その頬の肉は、円い頬骨に沿うて、蜜柑の皮のようにたるんでいる。
「老いた肌=しわしわ」という説明に留まらず、「蜜柑の皮」という意外な対象をぶつけたことで、読者は思わず生々しい映像を想起します。果物の皮という「ずれた」比喩が、老婆の異様さを際立たせているのです。
凡庸な「干からびたような頬」では印象は残りません。あえてずらすことで記憶に刺さる比喩になる好例です。
学べる点:対象物に対してずれた比喩は読者に異様を喚起させる。
3. “感覚を横断させる ― 「共感覚的」比喩”の作品例
川端康成は、感覚を交差させる比喩の名手です。『雪国』の最も有名な冒頭もそうです。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。
「夜の底が白い」という表現は、本来は矛盾を含んでいます。視覚と空間感覚を交錯させ、夜を「底」と呼ぶことで読者に新しい感覚を与えています。
また『眠れる美女』には、
老人の胸をかすめるのは、冷たい花びらの匂いのようなものだった。
という比喩があり、嗅覚と触覚を重ねることで独特の妖しさを醸し出しています。共感覚的比喩は、感覚の境界を越えることで「現実以上の現実感」を読者に与えるのです。
学べる点:一つの感覚だけで描写せず、異なる感覚を接続することで、対象を「経験」させている
川端康成の比喩は、対象を単に飾るのではなく、五感を重ね合わせて「気配」として提示しているのが特徴です。読者に直接「見せる」のではなく、「思い出させる」ことでイメージを濃くする効果を生んでいます。
4. “比喩は「その人物らしさ」を映し出す鏡”の作品例
太宰治の比喩は、彼自身の人物像と語り手の心理をそのまま反映しています。次の例は『人間失格』からの一文です。
人間は、恋と革命のためなら、死ぬこともいとわぬ、ということを知りました。私には、それが、どうしても、信じられませんでした。
直接的な比喩表現ではありませんが、彼の作品には「私は水に浮いた木の葉のようだ」、「私は紙人形のようだ」といった自嘲的な比喩が頻出します。作家が同じ「無力感」を描くとしても、漱石なら哲学的に、芥川なら冷徹に、太宰なら自己卑下的にと、――比喩の選択にはその人格が映ってくるものです。
学べる点:自嘲的な比喩が著者の自己否定的な思想を喚起させている。
キャラクターを描くときも同じで、その人物がどんな比喩を使うかで「その人らしさ」を表現できます。
5. “比喩の「間違い」は宝の山”の作品例
梶井基次郎の『檸檬』では、一見突飛とも思える比喩が現れます。
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終押えつけていた。
この「不吉な塊」という表現は、何か具体的な物に例えてはいません。その「見えてこない未知」がかえって心情をリアルに伝えています。比喩を通じて「説明不能な心の圧迫感」を形にしたものと言えます。
学べる点:説明が仕切れない著者の幻想的な心理が現実から離れた空想感を漂わせている。
比喩が「うまく言い表せない」状態にあるときが、わたしにも何度かありました。それはむしろ今では発見のチャンスだと考えています。梶井基次郎のように、「奇妙で未整理な比喩」から作品の世界が広がっているのです。これが彼の人気作であり、代表作に位置づけられている所以だと思っています。
6.“比喩は多用せず、また偏らせずに散らす”の作品例
谷崎潤一郎の『春琴抄』では、美の描写に比喩が多く用いられていますが、それらは散らされています。
春琴の声は、琴の音のようでもあり、また鶯の声のようでもあった。
ここで聴覚的比喩を重ねたあと、谷崎は別の場面で「春琴の姿を漆塗りの器」にたとえ、視覚的・触覚的な比喩を織り交ぜています。偏らせず散らすことで、読者に負担をかけず、全体として豊かな印象を残しています。
学べる点:対象を「美しい」と言わずに触感や音感を喚起することで、身体を通して読者に伝える。
谷崎の作品には、人間の身体や感覚を極端に誇張した比喩が多く見られます。『痴人の愛』などでは、女性の仕草や衣服を「絹のように音を立てる」、「蛇のようにくねる」といった比喩で描き、視覚だけでなく官能的な触覚や聴覚を読者に植えつけます。谷崎にとって比喩は、単なる形容ではなく「肉体を媒介にした感覚体験」を呼び起こす装置のようになっています。
7. “比喩は「説明できないもの」にこそ効く”の作品例
芥川龍之介の『地獄変』で、絵師良秀の狂気を描く場面です。
その顔は、燃え上がる炎を前にした時の猿のようであった。
単に「狂気じみていた」と説明するのではなく、炎と猿という異質なイメージを合わせることで、説明不可能な恐ろしさを描き切っています。
学べる点:二つの異質なものの組み合わせで狂気を創出し、ただならない様子が表現されている。
言葉で直接説明できないもの――恐怖、狂気、陶酔、虚無――に比喩は最も効力を発揮するものだと思っています。
8. “比喩を「作る」のではなく「見つける」”の例
村上春樹の小説には、日常の中でふと見つけたような比喩が多くあります。
彼女の声は、午後のプールに浮かぶビーチボールのように軽かった。
特別に奇抜なものではありませんが、日常の中から拾い出した比喩が彼の作風を支えています。
比喩は「頭で作る」よりも「日常の中で見つける」と言いました。有名作家もまた、自分の感覚に忠実であったからこそ、独自の比喩を手にしているのだと思います。
学べる点:日常で見かける特異な様相などから想起した事象から「日常と意外性の融合」が生まれる。

比喩は机に向かってひねり出すより、日常生活で見つけて拾ってみてください。
まとめ
1.比喩を効果的に使うために
比喩は、文章を飾る「花」ではなく、読者の頭の中で「世界を作り替える道具」のように考えています。「似ている」より「ずれている」ものを選び、五感を横断させ、キャラクターや感情を映すように使う。失敗すらも加工し直して素材とし、比喩は散らすように配置する。むしろ「奇妙さ」を楽しみ、何よりも日常に潜む比喩を見つけ出す目を養う。
これらができれば、比喩は単なる技巧ではなく、世界の見え方そのものを変える力を持ちます。そのとき、あなたの小説は単なる物語ではなく、「比喩の宇宙」を読者に体験させるものになるでしょう。
2.著名作家の比喩から学ぶ
漱石の発見的な比喩、芥川のずれた比喩、川端の共感覚的比喩、太宰の自嘲的比喩、梶井の未知の比喩、谷崎の散らし方、芥川の狂気の比喩、村上の生活感のある比喩――。
作家ごとに手法は違いますが、共通しているのは「比喩は世界を変えて見せる」こと。比喩とは、作家の文体や思想そのものを支える仕組みです。
小説家を志す方なら、比喩を飾りではなく「異化」の装置としてとらえ、自分だけの視点を探してください。それが、あなたの作品を唯一無二のものにしていくはずです。
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